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令和5年 富岡八幡宮の夏越の大祓
夏越の大祓 本日は夏越の大祓です。富岡八幡宮に行ってきました。茅の輪をくぐって穢れを祓い清めます。あっという間に半年が過ぎました。新たな気持ちで後半を楽しみます。 古来、人びとが病になったり、不幸が降りかかったりするのは、穢れが乗り移るた... -
深川大江戸年表1
慶長元年(1596):「深川」の地名の起こり 浅草先崎神社 当時の深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もまだいませんでした。徳川家康がこの地を訪れたとき、家康は深川八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねました。「まだ住む人も少なく地名もない」と... -
深川大江戸年表2
寛永6年(1629):深川ゑんま堂が創建 寛永6年に深川富吉町に創建され、寛永18年にこの地に移りました。法乗院は江戸時代から「深川ゑんま堂」として人々に親しまれ、広く信仰を集めています。場所は都営大江戸線門前仲町駅の近くにあります。こち... -
深川大江戸年表3
万治元年(1658):霊巌寺が深川に移転 関東十八檀林の一つ、霊巌寺です。元は霊巌島(現在の東京都中央区新川)にありましたが、明暦の大火後深川に移転しました。霊巌寺は浄土宗で、開祖法然は「南無阿弥陀仏」の念仏のみと説き「南無阿弥陀仏」を唱... -
深川大江戸年表4
貞享元年(1684):富岡八幡宮で勧進相撲が始まる 富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。貞享元年に幕府より勧進相撲が許され、寛政3年(1791)に本所の回向院に移るまで毎年開催されていました。ご本殿の奥には横綱力士碑があります... -
深川大江戸年表5
元禄11年(1698):隅田川にかけられた最長の永代橋 こちらが現在の永代橋です。元禄11年(1698)、江戸時代で隅田川にかけられた最長の橋になります。名前の由来は五代将軍綱吉の50歳を祝って付けられたとも云われています。当時の浮世絵を... -
深川大江戸年表6
元禄14年(1701):木場公園付近に材木置場ができる 元禄14年になると木場は猿江(猿江恩賜公園)から現在の木場公園付近に移されます。江戸時代、木場で働く筏師が鳶口ひとつで筏を組みました。これに軽業師のような技術が加わり、「木場の角乗」... -
深川大江戸年表7
宝永3年(1706):江戸六地蔵ができる 霊巌寺には5番目の江戸六地蔵があります。江戸から延びる六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ建立し、旅の安全を祈願しました。この角度が一番イケメンに写ります。 享保3年(1718):町火消しの創設 こち... -
深川大江戸年表8
宝暦7年(1757)木場に繁栄稲荷神社ができる 大丸さんのホームページを見ると、「宝暦7年(1757)江戸深川木場4丁目繁栄橋畔に木場別荘をつくり、一郭に繁栄稲荷を祀る。」とあります。こちらは江戸時代に伏見稲荷より分霊し、この地にお祀りしたのが... -
深川大江戸年表9
天明7年(1787):松平定信が寛政の改革 霊巌寺にある松平定信のお墓です。定信は田安宗武の七男で、八代将軍徳川吉宗の孫にあたります。天明3年(1783)白河11万石の藩主になり、老中田沼意次失脚の後に老中首座となり寛政の改革を行いました... -
深川大江戸年表10
寛政12年(1800):伊能忠敬が第一次測量 伊能忠敬は寛政12年(1800)、富岡八幡宮を参拝した後、第一次測量で奥州街道から津軽半島、そして蝦夷地に向かいます。文化13年(1813)に測量が終了するまでに測量距離は4万3708キロメー... -
深川大江戸年表11
文久11年(1828):間宮林蔵がシーボルト事件の発端に 間宮林蔵は伊能忠敬に師事し、樺太に派遣され樺太が島であることを確認しました。伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」は林蔵の測量が生かされていると云われています。その後密貿易調査の隠密活動... -
深川大江戸年表12
天保13年(1842):七代目市川團十郎が江戸追放 七代目市川團十郎は天保改革における奢侈禁止令に違反したとして江戸を追放されます。こちらは木場二丁目公園内にある七代目市川團十郎宅跡です。四代目が木場島田町に邸宅を構えて以来、七代目團十郎... -
深川から目黒に移転した海福寺
海福寺 深川から移転した海福寺を見に目黒にやってきました。海福寺は寛永5年(1628)に深川の地に創建されました。万治元年(1658)に黄檗派に転じ禅宗寺院となり、明治43年に目黒に移転しました。 山門の赤い四脚門は明治の後期に上落合の泰... -
令和5年 清澄庭園の花菖蒲
清澄庭園の花菖蒲 東京が梅雨入りすると、清澄庭園の花菖蒲が見頃になります。梅雨明けまでジメジメしますが、清澄庭園の花菖蒲を見て気分を晴らしましょう。晴れ間を見つけてお出掛けください。 令和5年のベストショット アクセス 住所:東京都江東区清... -
令和5年 第63回海王祭
第63回海王祭 本日は東京海洋大学の海王祭に行ってきました。百周年記念資料館・明治丸・明治記念館公開、調査研究船等の試乗会、研究室公開、ステージ企画(各種ライブショーなど)、各種イベントで盛りだくさんでした。 令和元年度以来4年ぶりの対面... -
黒船稲荷神社
黒船稲荷神社 こちらが黒船稲荷神社です。場所は大横川の近くで、最寄りの駅は門前仲町駅になります。絵図を見ると大横川の黒船橋の近くにあります。現在も黒船橋の近くで住宅地の中にひっそりと建っています。 四世鶴屋南北 黒船稲荷神社地内には四世鶴屋... -
令和5年 春の深川花手水
5月19日(金)~28日(日)まで「春の深川花手水」が行われます。富岡八幡宮や深川不動堂などで手水を花で飾り、皆様をおもてなしするイベントです。 富岡八幡宮の花手水 深川不動堂の花手水 -
萬年橋
萬年橋 小名木川から隅田川に入る所に架かる萬年橋です。場所は大江戸線・半蔵門線清澄白河駅の近くにあります。北斎の浮世絵では亀戸天神の太鼓橋のように丸く描かれています。手前が小名木川でその先が隅田川です。 川船番所跡 橋の北側には江戸への出入... -
霊巌寺
霊巌寺 関東十八檀林の一つ、深川白河町にある霊巌寺です。霊巌寺は浄土宗で、開祖法然は「南無阿弥陀仏」の念仏のみと説き「南無阿弥陀仏」を唱えれば、阿弥陀如来がいかなる人も救い、極楽浄土に迎えるとされています。 霊巌寺は元々霊巌島(現在の東京... -
海福寺跡
海福寺跡 こちらが海福寺跡です。場所は都営大江戸線 門前仲町駅の近くにあります。海福寺は明治43年に目黒に移転し、現在は江東区立明治小学校が建っています。 当時の海福寺の様子です。こちらでは永代橋崩落事故で亡くなられた方の供養塔が建てられ... -
令和5年 富岡八幡宮の大黒社例大祭
大黒社例大祭 本日は富岡八幡宮の大黒社で例大祭が執り行われました。御祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)です。大国主命は因幡の白ウサギを助けたことで知られ、国土経営に努力しました。骨董市もやっていましたが、雨が降りそうなのでお店もお客も少... -
雲光院
雲光院 阿茶局のお墓がある雲光院です。場所は大江戸線・半蔵門線清澄白河駅の近くにあります。阿茶局の法號「雲光院」がそのまま寺の名前となりました。 雲光院は浄土宗で、開祖法然は「南無阿弥陀仏」の念仏のみと説き「南無阿弥陀仏」を唱えれば、阿弥... -
伊能忠敬住居跡
伊能忠敬住居跡 こちらが伊能忠敬住居跡です。伊能忠敬は深川黒江町に住んでいました。18歳で下総国佐原の伊能家に婿養子に入り、50歳で隠居すると高橋至時に就いて天文学を学びました。 伊能忠敬は寛政12年(1800)、富岡八幡宮を参拝した後、... -
三十三間堂跡
三十三間堂跡 こちらが三十三間堂跡になります。場所は富岡八幡宮の近くにあります。矢が描かれていますが、ここで遠くの的を矢で射抜く「通し矢」が行われていました。 慶長末年(1615)頃、京都東山の三十三間堂で通し矢が流行しました。三十三間堂... -
永代橋
永代橋 こちらは現在の永代橋です。江戸時代の永代橋は元禄11年(1698)に架けられ、現在の永代橋より100メートルほど上流にあり、長さは110間(約200メートル)で隅田川に架けられた最長の橋になります。 名前の由来は永代島に因んで付け... -
油堀川
油堀川 油堀川は現在ありません。昭和50年に埋め立てられ、その上に首都高速9号深川線が建設されました。油堀川は隅田川から木場まで続いており、佐賀町や福住町の両岸に油問屋が多かったことから油堀川と名付けられました。 こちらの浮世絵を見ると、丸... -
令和5年 豊住公園のバラ
豊住公園のバラ園 豊住公園のバラ園が見頃になりました。豊住公園は木場公園の隣、東西線木場駅の近くにあります。こちらは「豊住ローズパティオ」というボランティア団体のバラ園です。手入れが行き届き、関係者の方が丁寧に育てていることがわかります。... -
芭蕉庵史跡展望庭園
芭蕉庵史跡展望庭園 小名木川から隅田川に入るところに芭蕉庵史跡展望庭園があります。最寄りの駅は大江戸線・都営新宿線森下駅です。 階段を上ると松尾芭蕉が座っています。理由はわかりませんが、こちらの像は午後5時に回転します。展望庭園というだけ... -
令和5年 深川不動堂の深川龍神例大祭
深川龍神例大祭 本日は深川不動堂で深川龍神例大祭が行われました。仏典の龍の原型は古代インドの水神ナーガと言われ、水は草木や動物の成長に欠かせないことから、ナーガは豊穣や地上の富貴を司るとされました。 龍神太鼓 例大祭の後に下総栄太鼓の皆様に...