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伊能忠敬住居跡
こちらが伊能忠敬住居跡です。伊能忠敬は深川黒江町に住んでいました。18歳で下総国佐原の伊能家に婿養子に入り、50歳で隠居すると高橋至時に就いて天文学を学びました。
伊能忠敬は寛政12年(1800)、富岡八幡宮を参拝した後、第一次測量で奥州街道から津軽半島、そして蝦夷地に向かいました。
第五次測量から幕府直轄事業に格上げされ西日本の測量が始まりました。忠敬は測量にまつわる事を日々詳細に書き留めており、第五次測量の頃から書かれた、江戸滞在中を記載した「江戸日記」というものがあります。
この日記での忠敬は隠居した町人ではなく現役の幕府役人でした。忠敬は小普請組に所属し、そこから高橋景保の手付として天文方に出役していました。わずか十人扶持の微臣でしたが、若年寄堀田正敦や林大学頭述斎などとも親しい関係でした。
寛政12年(1800)から日本全国の測量を開始し、文化13年(1813)に終了するまでに測量距離は4万3708キロメートルに及びました。有名な「大日本沿海輿地全図」は伊能忠敬の死後、弟子たちによって編集されます。
富岡八幡宮の伊能忠敬像
測量の旅に出るときは富岡八幡宮に参詣していたことから、富岡八幡宮には伊能忠敬像があります。右手に携えるのは彎窠羅針(わんからしん)です。杖の先に羅針盤を取り付け、杖が傾いても羅針盤自体は水平を保てるようになっています。
アクセス
- 住所:東京都江東区門前仲町1丁目18
- 最寄り駅:都営大江戸線・東西線門前仲町駅6番出口より徒歩5分
参考文献:山本 博文「江戸時代 人名控 1000」小学館 (2007) 星埜由尚「伊能忠敬 (別冊太陽 日本のこころ)」平凡社 (2018)