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三十三間堂跡
こちらが三十三間堂跡になります。場所は富岡八幡宮の近くにあります。矢が描かれていますが、ここで遠くの的を矢で射抜く「通し矢」が行われていました。
慶長末年(1615)頃、京都東山の三十三間堂で通し矢が流行しました。三十三間堂の名は御堂内の柱の間数が33あることに由来します。
寛永19年(1642)、浅草松葉町に三十三間堂ができましたが、火事で焼け深川に再建されました。絵図を見るとかなり大きな敷地になります。
明治5年(1872)、深川の三十三間堂は廃仏毀釈により解体されました。三十三間堂に関する「東都三十三間堂旧記」は現在江東区深川2-22-5にある正覚寺に保管されています。
数矢町
三十三間堂は無くなりましたが、昭和6年まで地名として数矢町は残り、現在も近くには三十三間堂が名前の由来となる数矢小学校があります。また、東富橋には矢のデザインが描かれています。
浅草三十三間堂跡
こちらが矢先稲荷神社の境内にある浅草三十三間堂跡の看板です。浅草三十三間堂は京都三十三間堂にならい、寛永19年(1642)浅草松葉町に創建されました。
その後、元禄11年(1698)世に「勅額火事」と呼ぶ江戸大火が起こり浅草三十三間堂は焼失しました。なお、矢先稲荷神社は三十三間堂の鎮守として稲荷神を祀り、天井絵が有名です。
アクセス
- 住所:東京都江東区富岡2丁目4
- 最寄り駅:都営大江戸線・東西線門前仲町駅1番出口より徒歩8分
参考文献:田澤 拓也「江戸の名所:お上り武士が見た華の都」小学館 (2011)