貞享元年(1684):富岡八幡宮で勧進相撲が始まる
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。貞享元年に幕府より勧進相撲が許され、寛政3年(1791)に本所の回向院に移るまで毎年開催されていました。ご本殿の奥には横綱力士碑があります。高さ3.5メートル、幅3メートルの大きな石碑です。裏には歴代横綱の名が刻まれています。最新は第73代横綱照ノ富士になります。
その頃江戸では、渋川春海が初代幕府天文方に就任します。碁師安井算哲の子に生まれた渋川春海は父の名を継いで碁所に勤めていましたが、暦算を学び800年以上使用していた宣明暦に変わる新しい暦を作成しました。貞享元年(1684)10月29日朝廷から許可を受け貞享暦が生まれます。この功績により初代天文方に任じられました。
元禄2年(1689):松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出発
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」元禄2(1689)年3月27日、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅に出発します。
芭蕉は「おくのほそ道」の旅で不易流行と「かるみ」という二つの重要な考え方をつかみます。不易は時が流れても変わらないもの、逆に流行は時の流れとともに変わるものです。向井去来の「去来抄」では「その元は一つなり」と書かれ「不易=流行」となります。季節はめぐり、人は生まれ死んでゆく。しかし、宇宙の天体と同じようにみな不易なるものが時とともに流行する。
元禄6年(1693):新大橋ができる
こちらが現在の新大橋です。江東区の新大橋と中央区の浜町を結びます。江戸時代の新大橋は元禄6年(1693)に架けられた隅田川三番目の橋になります。
元禄9年(1696):深川地域に干鰯場ができる
江戸に成立した干鰯問屋は、初め隅田川から西に入る堀川近くの北新堀町・南茅場町(東京都中央区新川・日本橋茅場町)に店を構えていました。しかし、寛文年中(1661~73)になると、この辺りに蔵が建てられ空き地が狭くなると、元禄9年(1696)深川地域に揚場を築きました。
鰯場は肥料である干鰯・〆粕の取引所となります。干鰯はイワシを乾燥させたもので、〆粕はイワシをゆでて搾り固めたものです。房総から運ばれた干鰯・〆粕は、木綿や麻・藍・茶・煙草の肥料として全国に流通しました。
参考文献:山本 博文「見る、読む、調べる 江戸時代年表」 小学館 (2007)