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宝永3年(1706):江戸六地蔵ができる

霊巌寺には5番目の江戸六地蔵があります。江戸から延びる六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ建立し、旅の安全を祈願しました。この角度が一番イケメンに写ります。

享保3年(1718):町火消しの創設

こちらが森下駅前交差点にある纏のモニュメントです。高さはマンションの2階ぐらいあるでしょうか。纏の由来を見ると、

八代将軍吉宗の時代に江戸町火消しとして、いろは48組、本所深川南・中・北16組が編成された。深川発祥の地森下を火事などの災難から守るために深川中組内7組(しちのくみ)の纏として作られる。その後、江戸消防記念会第6区3番組として、明治5年に中組と3番組と6区とが組み込まれて、今の纏になり現在に至る。

享保7年(1722)頃:深川に富士塚が築かれる

富岡八幡宮には大きな富士塚がありました。「観光高札」を見ると享保7年(1722)頃に築かれ、昭和40年頃に解体されました。写真をよく見ると、高さは3mぐらいあるでしょうか、それなりに立派な富士塚が有ったと感じます。こちらが現在、富岡八幡宮にある富士塚です。平成14年に再建されました。場所は富士浅間神社の裏にあります。

その頃江戸では、幕府が新田開発令を出します。享保7年(1722)7月、幕府は江戸日本橋に新田開発令の高札を立て、これまで認めていなかった町人請負も含めた開発促進の方針を示しました。
参考文献:山本 博文「見る、読む、調べる 江戸時代年表」 小学館 (2007)