芭蕉庵史跡展望庭園

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芭蕉庵史跡展望庭園

小名木川から隅田川に入るところに芭蕉庵史跡展望庭園があります。最寄りの駅は大江戸線・都営新宿線森下駅です。

階段を上ると松尾芭蕉が座っています。理由はわかりませんが、こちらの像は午後5時に回転します。展望庭園というだけあり景色が良いです。清洲橋から新大橋まで一望でき、とても気持ちの良い風が吹いています。

芭蕉庵

庭園には芭蕉庵の絵が掲示されています。もう少し良い家に住んでもよいのでは?と感じます。ちなみに隣の大きな植物は「芭蕉」です。

延宝8(1680)年、芭蕉は閑寂の地を求め、深川六間堀にある魚商杉風の生簀の番小屋に移ります。門下から一株の「芭蕉」を贈られ芭蕉庵とよび、芭蕉翁と尊称されました。

芭蕉庵があった場所は近くにある芭蕉稲荷神社です。鳥居をくぐると、やはりそこにはあのカエルがいました。

おくのほそ道

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」元禄2(1689)年3月27日、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅に出発します。

「おくのほそ道」は全体が太平洋側と日本海側で二つに分かれ、白河、尿前、市振という昔の関所で四つに分かれます。

  • 第一部(江戸深川~白河の関):あらたうと青葉若葉の日の光「青葉若葉に日がさんさんと照り輝いて、この日光山の尊さが身に染みて感じられることよ。」(日光東照宮)
  • 第二部(白河の関~尿前の関):夏草や兵どもが夢の跡「その昔、ここで戦った勇者たちは敗れて花と散り果て、戦いに関わった藤原三代の栄華の夢も跡形もなく消え、眼前には夏草が勢いよく茂るばかりである。」(平泉)
  • 第三部(尿前の関~市振の関):閑さや岩にしみ入蝉の声「全山ひっそり静まり返ったなか、ただ蝉の鳴き声だけが岩にしみ入っていくように聞こえてくる。」(石立寺)
  • 第四部(市振の関~大垣):蛤のふたみにわかれ行秋ぞ「私はいま、親しい人々に別れを告げ、伊勢の二見に向かって出発するが、蛤が蓋と身に別れるかのように辛い。折から晩秋で、別れゆく寂しさが身に沁みることだ。」(大垣)

芭蕉は「おくのほそ道」の旅で不易流行と「かるみ」という二つの重要な考え方をつかみます。不易は時が流れても変わらないもの、逆に流行は時の流れとともに変わるものです。向井去来の「去来抄」では「その元は一つなり」と書かれ「不易=流行」となります。季節はめぐり、人は生まれ死んでゆく。しかし、宇宙の天体と同じようにみな不易なるものが時とともに流行する。

「かるみ」は不易流行という認識の上で、出会いや別れに一喜一憂することなく、不易に立って流行を楽しみながら、軽々と生きていきたいという芭蕉の願いなのです。

アクセス

  1. 住所:東京都江東区常盤1丁目1−3
  2. 最寄り駅:半蔵門線・都営大江戸線清澄白河駅A1出口徒歩8分
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