深川大江戸年表1

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慶長元年(1596):「深川」の地名の起こり

浅草先崎神社

当時の深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もまだいませんでした。徳川家康がこの地を訪れたとき、家康は深川八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねました。「まだ住む人も少なく地名もない」と応えると、家康公は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じました。深川八郎右衛門は屋敷に小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の大神さまのご分霊をお祀りし、開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念しました。 これが、深川神明宮の起源です。(深川神明宮ホームページより)

寛永4年(1627):富岡八幡宮が創建

深川の八幡様と親しまれている富岡八幡宮です。御祭神は応神天皇(誉田別命)。創建は寛永4年(1627年)です。源氏の氏神である八幡大神は源氏の末裔と称した徳川将軍家により手厚い保護を受けました。

その頃江戸では、紫衣事件が起こります。寛永4年(1627)、幕府は元和元年(1615)以降の紫衣着用の勅許を無効としました。紫衣とは勅許(天皇の許可)により高位の僧尼に与えられる紫色の法衣で、天皇の権限である勅許を幕府が制限しました。その後、幕府に意見書を提出し抗議した大徳寺の沢庵は出羽国上山に流罪となりました。

寛永5年(1628):海福寺が創建

当時の海福寺の様子です。こちらでは永代橋崩落事故で亡くなられた方の供養塔が建てられました。海福寺は寛永5年(1628)に創建され、万治元年(1658)に黄檗派に転じた禅宗寺院です。

その頃江戸では、目付豊島信満が殿中で老中井上正就を殺害しました。この事件は「江戸三大刃傷事件」のひとつとされています。その他は若年寄稲葉正休による大老堀田正俊殺害、赤穂藩主浅野長矩による高家吉良義央殺害未遂。

参考文献:山本 博文「見る、読む、調べる 江戸時代年表」 小学館 (2007)

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