深川大江戸年表6

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元禄14年(1701):木場公園付近に材木置場ができる

元禄14年になると木場は猿江(猿江恩賜公園)から現在の木場公園付近に移されます。江戸時代、木場で働く筏師が鳶口ひとつで筏を組みました。これに軽業師のような技術が加わり、「木場の角乗」と呼ばれる伝統芸能が生まれました。

その頃江戸では、赤穂事件が起こります。元禄14年(1701)3月14日、江戸城松の廊下で播磨国赤穂藩主浅野内匠頭長矩が高家筆頭吉良上野義央に斬りつける事件が起こります。同日、浅野家は改易、内匠頭は切腹となりますが吉良の処分はありませんでした。

元禄15年(1702):赤穂浪士休息の地の碑

吉良上野介邸を討ち入りした赤穂浪士が泉岳寺に向かう途中に永代橋を渡っています。永代橋の近くには赤穂浪士休息の地の碑があります。この地に「ちくま味噌」という味噌蔵があり、お店の主と赤穂浪士の大高源吾は其角門下の俳人として交流があり、ここで甘酒がふるまわれたと云われています。

その頃江戸では、桂昌院が従一位に叙せられました。5代将軍徳川綱吉の母桂昌院は西陣織屋の娘とも八百屋の娘とも諸説あります。正保3年(1646)に綱吉を出産。綱吉はこの母をひじょうに大切にし、桂昌院の住む三の丸にも頻繁に訪れました。

元禄16年(1703):深川不動堂の開創

永代寺が廃寺になった後、以前から出開帳が行われていた縁で、空いた土地に成田不動が分霊されたと云われています。また、将軍徳川綱吉の母、桂昌院が「成田山は遠いので江戸で参拝したい」と希望し、深川不動堂ができたという説もあります。

宝永2年(1705):冬木弁天堂が創建

こちらが冬木弁天堂です。門前仲町駅近くの江東区冬木にあります。冬木という町名は、材木豪商の冬木家に由来しています。もともと冬木家は茅場町(東京都中央区)で材木商を営み、屋敷には竹生島から移した弁財天が安置されていました。宝永2年(1705)茅場町からこの地に移り、弁財天も移したのが冬木弁天堂と云われています。

参考文献:山本 博文「見る、読む、調べる 江戸時代年表」 小学館 (2007)

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