干鰯場(元場)跡
こちらが江東区佐賀町1丁目の佐賀町公園にある干鰯場(元場)跡です。干鰯場は肥料である干鰯・〆粕の取引所となります。干鰯はイワシを乾燥させたもので、〆粕はイワシをゆでて搾り固めたものです。房総から運ばれた干鰯・〆粕は、木綿や麻・藍・茶・煙草の肥料として全国に流通しました。
江戸に成立した干鰯問屋は、初め隅田川から西に入る堀川近くの北新堀町・南茅場町(東京都中央区新川・日本橋茅場町)に店を構えていました。
しかし、寛文年中(1661~73)になると、この辺りに蔵が建てられ空き地が狭くなると、元禄9年(1696)深川地域に揚場を築きました。干鰯場に必要な構成要素は3つ有ります。
- 商品の運輸に不可欠な堀川との接続
- 商品の保管を行う土蔵や納屋
- 揚場、市場として機能する空き地
これらの干鰯場の土地は、干鰯問屋が共同で所持しており、仲間を離脱する際には土地の権利を仲間に譲ることとされていました。
写真を見ると4カ所の干鰯場があります。元禄9年(1696)に銚子場、元禄14年(1701)に永代場、宝永6年(1709)に元場、宝永7年(1710)に江川場が設置されました。こちらの元場以外をそれぞれ訪ねると銚子場だけ史跡がありました。
銚子場
こちらが干鰮場跡(銚子場)です。史跡の裏側には「小名木川にそった白河小学校付近」と書かれています。史跡の後ろが白河小学校なので、実際の銚子場はもう少し小名木川に近い場所になります。なお、白河小学校は廃校となり、現在はインターナショナルスクールに変わっています。
江川場
江川場は特に史跡はありませんが絵図を見ると、丸で囲んだ江川場の中に江川橋があることが分かります。
また、江川場で働く人たちが祀った永昌五社稲荷が明治29年に富岡八幡宮に移転しており、享保20年(1735)に奉納された石灯籠も富岡八幡宮に引き継がれています。
アクセス
- 住所:東京都江東区佐賀1丁目15
- 最寄り駅:都営大江戸線・東西線門前仲町駅3番出口より徒歩12分
参考文献: 細田 隆善「江東区史跡散歩 (東京史跡ガイド)」學生社 (1992) 原 直史「近世商人と市場 (日本史リブレット)」山川出版社 (2017)