七代目市川團十郎宅跡

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七代目市川團十郎宅跡

木場二丁目公園内にある七代目市川團十郎宅跡です。場所は東西線木場駅の近くにあります。四代目が木場島田町に邸宅を構えて以来、七代目團十郎まで市川家は代々居住していました。江戸時代に活躍したのは初代から八代目。七代目が最も有名で家芸の荒事の他に四代目鶴屋南北の世話物も好演しました。

七代目市川團十郎

勧進帳の弁慶像(東京都中央区の浜町川緑道)

七代目は代々受け継がれてきた十八の演目を「市川流 寿 歌舞伎狂言組十八番」として公表しました。「助六」を皮切りに連続上演を開始し、荒事の代表的役柄の弁慶を主役に「勧進帳」を演じ、今日まで伝わる「歌舞伎十八番」の始まりとなりました。

しかし、天保改革における奢侈禁止令に違反したとして江戸を追放されます。奢侈禁止違反の理由のひとつに御影石の燈籠と載っていますが、右にあるのがそれでしょうか。

成田山新勝寺

成田山新勝寺のホームページを見ると、「江戸を離れることになった七代目を成田山では延命院に住まわせ、かくまいます。」と載っています。

市川家と成田山との関係は古く、初代團十郎が子授けの祈願を新勝寺の本堂で祈願し、その甲斐あって二代目が生まれ、お不動様への感謝を込めて演じた舞台「兵根元曽我」は大当たりしました。この頃から市川家は、「成田屋」の屋号を使うようになりました。

出開帳で参拝者に接待する七代目市川團十郎

その後、江戸の人々にも成田不動尊の存在を知ってもらおうと、深川の永代寺でご本尊を一般公開する「出開帳」を初めて行います。その際、初代團十郎は「成田山分身不動」を演じ、新勝寺の名は一気に知られることとなりました。

アクセス

  1. 住所:東京都江東区木場2丁目11−11
  2. 最寄り駅:東西線木場駅3番出口より徒歩3分
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